2019年2月21日
【スタッフレポート】
初めて遺骨収集活動に参加しました。
この活動を知ったのは8年前、国による捜索は戦後30年で終了し、その後は民間で細々と続けられている現状を知りました。体感としてわからない戦争を遺骨収集という角度から感じたいと思い、亡くなった兵士や民間人が未だそのまま残されている場所を訪ねたいと思いました。
今回の活動場所は浦添市。
こんな場所に本当に洞窟があるのか...と思うほど賑やかな大通り沿いのショッピングセンターのすぐ裏。崖を下り、生い茂った林を進むと小川の両側にいくつも壕が現れました。
ここは前田高地の激戦地跡で、壕の入口には火炎放射器の真っ黒な焦げ跡が生々しく残り、都会の真ん中でひっそり時間が止まっているようでした。
壕には長い年月で土砂が流れ込み、40cmほど堆積した重い粘土を小さなスコップで少しずつ掻き出しながらご遺骨や遺留品を探します。真冬とはいえ沖縄の洞窟は非常に湿度が高く、泥と埃の混じった何ともいえない匂いが充満する中でヘッドランプの光に壁を這う大きなムカデが照らし出され、思わず吐き気が込み上げました。
今回捜索した3つの壕からはご遺骨は見つかりませんでしたが、遺留品として銃の弾丸、医療瓶、割れた温度計、ベルトのバックル、アルミの器、陶器の破片を見つけました。
この場所は心霊スポットと呼ばれ、地元の方から敬遠されているそうです。
大勢の方が苦しみ亡くなった場所ですから、その通りでしょう。
しかし、今生きる私達はその犠牲の上に生きていると思えてならず、本当は恐れ遠ざけるものではなく心を寄せていきたいと思いました。
活動前夜に、50年以上も1人コツコツと遺骨収集を続けてこられた国吉勇さんを訪ねました。
国吉さんは沖縄戦で逃げ惑うなか母親とはぐれ、戦後に収容所で再会しました。亡骸となっていたにもかかわらず母と会えたことに大きな安堵感を感じて、その時の嬉しさが活動のきっかけとなり国吉さんをずっと支えてきました。
野口健さんは壕の中で土を掘りながら「この活動は戦争を美化するものではなく、過去を振り返り未来を考えるものだと思っています。一見過去を見ているようでいて、実はこれからを見つめる活動なのです。」と静かに語ります。
とりわけ遺骨収集については政治や思想が絡み合い様々な見方があるようです。
それらの違いを国吉さんは50年間どのように見つめてきたのでしょう。
そこに活動への裸の理由があり、野口さんの思いが深く重なるような気がしました。
2006年にフィリピンから始まった野口さんによる遺骨収集活動に、地元の瓦職人 西島恵歴さんが加わりました。地元の方がチームに加わるのは非常に心強いことで、仕事の傍ら社員を率いて洞窟に入る西島さんは若きリーダーとして頼もしい存在です!
国吉さんのあの時の思い。私は想像することを忘れないように、と思います。そして再び壕に向かいたいと思います。