沖縄遺骨収集

REPORT沖縄での遺骨収集~確かな輪の広がり~

2012年7月19日

6月28日,29日、沖縄での遺骨収集を行った。私が行った沖縄での遺骨収集は、これで6回目。参加者を一般募集して行うのは、2月に続き2回目。今回の現場は糸満市と八重瀬町の二か所。一か所目は元野戦病院の跡地。資料によれば患者数が最も多いときには約1000人だったとのこと。そしてその1000人の患者に対して軍医は1~2名程度だったとか。今回、僕は始めてこの洞窟に入った瞬間からとてつもなく重たい空気、またオーラを感じていた。活動終了後に仲間から聞かされたのは米軍の上陸直後、この洞窟から脱出しなければならなかったのだが、自力で歩けない患者には青酸カリが配られたそうです。そして青酸カリを飲んでも死にきれなかった患者は銃剣や銃で殺害されたとも。またスパイ容疑がかけられた何名かの看護婦が銃殺されたとも。それが今回の我々の活動現場です。

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極めて重たい過去を残した現場ですが、それでも驚かされるのが参加者の若さ。最年少は16歳の少年。彼は宮城県石巻市からの参加。また東京からは大学2年生の女子学生やまた20~30代のOLの姿。総勢35人でやりましたが特に多かったのが20~30代。そして半分近くが女性たち。一般的な多くの方々がイメージしている遺骨収集活動とは違うだろう。

そこで学生の女の子に「どうして参加してくれたの?」と質問したら「ホームページで見て、また野口さんの本を読んで遺骨収集の事を知りました。知らなかったことだったのでビックリして。それから色々調べ始めたのですが。その内にホームページで今回の活動の募集があって参加しました」と。またある女性は「歴史の事はよく分かりませんが、この活動を知って参加しなければととっさに感じて申し込みました」と。内地からの参加になると飛行機代、宿泊代含めると10万円近くの出費となる。ある学生は「ホームページでこの活動を知ったからアルバイトで貯めました。始めての沖縄が遺骨収集となりましたが」と。

この活動を始めた頃、遺骨収集活動を広げるのはかなり難しいだろうと覚悟していた。なにしろ60年前の出来事。そしてこの社会はどこかで過去の歴史(戦争)に関しては直視せず、どこかで避けてきたのではないかと、僕にはそのように感じてきましたから。しかし、2月の時もそうであったように活動を行うたびに若い人が増えている。

自分が学生の頃にもし仮に遺骨収集活動を知っていたとしたら果たして僕は参加しただろうか。ヒマラヤ登山に明け暮れ自分の事で精一杯だったあの時の自分が・・・。そんな事を考えていると僕よりも遥かに若い参加者の姿に、感心させられ、また「この社会もまだまだ大丈夫だ」と逆に勇気を頂く。

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日頃、講演活動で全国を回っていますが、講演の中で遺骨取集の事に触れた時の出来事。特に小中学校で多いケースですが、事前にその学校の教師に「遺骨収集の話をしてもいいですか?」と訪ねると「いや~困りましたね・・・」と微妙な雰囲気になったりする。

講演が始まっちゃえばこっちのものだし。まさかマイクの電源を落としてまでも阻止されることもないだろうと。

冒険活動の話、またエベレストや富士山での清掃活動などの環境問題が講演内容の主な内容ですが後半に「どうしても話しておきたいことがあります」と遺骨収集の話をする。そうすると子ども達からすると全く知らない情報だけに呆気にとられまた驚く。でも、すぐにグッと子ども達の気持ちが乗り出してきて、その気持ちの波が僕のところに集まってくる。「伝わったんだ」と実感する瞬間。

しかし、講演後に校長室で「野口さん、あの戦争の話は・・・」となる。せっかくだから何故にそうなのかと尋ねてみると「戦争の話は意見が分かれますし・・・。保護者にも色々な意見があるわけでして・・・。できれば意見が大きく分かれるようなテーマは避けたいというのが本音でして」と。ここまでハッキリと話されるケースは少ないが、かもし出す雰囲気は共通している。

確かに意見は分かれるかもしれない。しかし、そもそも論として様々な意見があるものだし、逆になければそれはそれで怖い。色々な意見を聞きながら、またぶつけ合いながら自分の中で何かしらを探っていくものだろうし。時代背景が大きく違うわけで今のこの時代の感覚でそのまま当てはめてみたところで無理があるだろうし、そもそも答えなんてものはないのかもしれない。しかし、探し続ける事に意味がある。


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遺骨収集を続けているのはその何かを「探し続けている」ためなのかもしれない。現場は常に生々しい。リアルである。故に戦争を知らない我々世代には戦争を理屈ではなく感覚で感じる事ができる。そして何故、沖縄なのか。フィリピンや硫黄島にも多くのご遺骨が放置されてきた。同じように問題ですが、フィリピンや硫黄島でのご遺骨は軍人、または軍属の方々が主ですが、しかし、沖縄は違う。多くの民間人が犠牲になった。沖縄で発見されるご遺骨の中には多くの民間人が含まれているだろう。いわゆる「沖縄問題」は米軍基地の事がクローズアップされるが、僕にとって沖縄での遺骨収集はもう一つの沖縄問題だ。

17版 国吉さんの戦争資料館.JPG国吉勇さんの戦争資料館

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国(厚生労働省)は沖縄県でいまだに収集されていないご遺骨は約100体だというが、沖縄県によれば3000体は超えているだろうとのこと。認識の差が情けないほど大きい。国が本腰を上げない中、沖縄県の平和記念財団が遺骨収集を行っている各民間団体を束ねた「遺骨収集情報センター」を立ち上げた。本来ならば「国の責任で」とも思いもしますが、国が動くまで待っていたらこのまま幕引きされてしまうだろう。
2009年11月13日、天皇陛下即位20年を祝う記念式典が開催され、自分も参列の機会に恵まれましたが、これに先立ち記者会見で陛下は日本の将来への心配を問われた際に「私はむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです」とお話しされ、第二次世界大戦にも触れられたあとに、「過去の歴史的事実を十分に知って、未来に備える事が大切に思います」と述べられました。遺骨収集を通して過去を振り返り、そして未来につなげていく。

次回の沖縄での遺骨収集活動は10月。また多くの仲間たちと一緒に現場で汗を流し過去を振り返りながらこれから先の日本を感じてみたい。

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2012年7月19日 野口健

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