2024年4月 7日
珠洲の被災地の今。住宅街を歩きましたが...誰1人の姿も見なかったです。瓦礫も災害ゴミもそのまま。2ヶ月前に始めてこの街に来ましたが、その時に見た光景とほぼ変わらないまま。未だ「被災地は被災地のまま」という現実を突きつけられた。
津波の被害があったエリアを少し歩きましたが「シーン」という音が聞こえてくるほど静か。静かすぎる被災地のようすが全てを物語っているようだった。
地震発生から3ヶ月。変わらぬ光景にこれが果たして日本の姿なのかと...
「珠洲では一般ボランティアの姿をまず見ない」「忘れられちゃったのかな」「公費解体がいつ始まるのだろうか。行政からは何も説明がない。これでは再建の目処すら経たない。先行きが見えない中で気持ちを保つのが難しい」と地元の方々から多くの声を聞きました。
東日本大震災の時にはオールジャパンになりましたが、今回はどうなのでしょうか...。そんなことはないのかな。ただ、現場にいるとふとそんな事を感じてしまいます。
「見ること」とは「背負うこと」とよく発言してきましたが、しかし、あまりに重たい。
瓦礫の中にいますと途方もない虚脱感に襲われもしますが、しかし、同時に皆が何か一つを背負っていけばこの国難にも立ち向かっていけるはずだと。先人たちがそうしてきたように。
この国は幾度も破壊されながら復興を成し遂げてきたじゃないかと。今回もまたそうなるのだと。
被災地は被災地のまま。この現実を1人でも多くの方々に共有して頂きたい。何か一つ、何か一つ。その何かを僕も必死に考えている。