2006年4月14日
午前 4 時半起床。 7 時 30 分、チャーターヘリに乗り込みサマ村に向けて出発。前日の情報ではサマ村はひざまでの大雪と聞かされていたので、情報が正しければ大変だなぁ~とそれなりに覚悟していましたが、サマ村(約 3500m 地点)に到着してみたら雪などまったく積もっていなかった。マナスルのベースキャンプとサマ村の情報がごっちゃ混ぜになったようでした。先にマナスルに入っていたドイツ隊はすでにキャンプ1まで到達しているとのこと。
このサマ村はネパールというよりもチベット文化そのままだった。ラマ族が住んでいるが、髪型も服装もチベット人そのもの。ネパール語が通じない人も多い。このサマ村が 50 年前の日本隊のベースキャンプ地であった。村を歩いていたら老人がいたので 50 年前の日本隊について聞いてみたら「覚えているよ」と懐かしそうな顔をしながら言っていた。明日は、 50 年前の日本隊について印象に残っていることを話してくれるそうです。楽しみ。
サマは開発され尽くしたエベレスト街道と違いとても静かで素朴な村で、散歩しながらみんなで「いい村だねぇ~ のんびりするねぇ~」と話していました。歩いていたら村人が集まってきて一緒に写真に写ろうと行列ができた。デジカメだから撮影した写真をあげられないのに、それでも一緒に写りたがるんです。谷口ケイ隊員はどうみてもオカマにしか見えない男性?に恋されベタベタされていた。「嫌だ~」と言いながらまんざらでもなさそうで、嬉しそうに一緒に写真に納まっていました。肝心のマナスルはここからは一部しか見えなかったが、初めて肉眼で見るマナスルにドキドキ。
これから一ヵ月半、この地でどんなドラマが生まれるのか、楽しみであり、また緊張感もあります。明日は400mほど登ろうかと思います。ここはカトマンズのあの暴動とは無縁で平和。ただ、村人によるとたまにマオイスト(毛沢東主義者・共産ゲリラ)が村にやってくるが、サマの村人はネパール語があまり話せないのでコミュニケーションがとれず、少し食料を寄付してやるととっと帰っていくそうな。「ネパール語ができなくてよかった、よかった」と笑いながら話してくれたおじさんの笑顔がまたまたよかった。一部しか見えなかったけれど、マナスルは大きかった。